寝ぐせのなおらないミクジンです。
この記事は、漫画の名言から考えさせられたことを書き殴るシリーズです。
今回は『月光条例』7巻から、童話『フランダースの犬』の中での主人公月光とネロのやり取りです。
何もかも失ったと思い、自分の人生を『最低』だと言うネロに月光が言った言葉です。
コトバは心を喰う
月光「ネロ、わかんだろ?オレとおまえのモノサシは違うし、他のヤツのモノサシも全部違うのよ。だから他人に自分の人生を評価させるんじゃねぇ。自分の人生は自分のモンだ……。モノサシの違う他人にゃ絶対はかれねえ。自分だけで1人ではかって、自分だけで正直に判断するんだ。うそはナシだぜ。良かったか、ぶっちゃけ悪かったか…心で答えろ。ネロ、おまえは自分の人生は『最低』と言った。お前にゃ大好きな人はいなかったのか?」
ネロ「おじいさん‥パトラッシュ‥」
月光「そのじいちゃんはお前を役立たずだと言ったか?」
ネロ「う‥ううん。」
月光「その犬はお前の人生を『最低』だと言ったのかよ」
ネロ「ううん!ううん!そんなこと言わなかったよ‥」
月光「そのじいちゃんも犬もおまえの人生の一部だぜ。おまえのモノサシではかって、それも『最低』なのかよ!」
ネロ「ちがうよ、ちがう!おじいさんはやさしかったよ‥パトラッシュはいつもぼくのとなりでぼくを‥なぐさめてくれたよ‥」
月光「だったら『最低』とか言うな!貧乏だからサイアク。絵のコンクールに落選したからダメ。銭を盗んだぬれぎぬを着せられたからおソマツ。それは全部他人のモノサシではかった自分だろう!?本当のトコロを知ってる自分のモノサシはなんて言ってんだ!?大切な者がいて、ホントは『最低』じゃなかったんだよなァ?だったら言え!泣きながら歯をくいしばって言え、『最低』じゃないって言いはれ!!コトバは心を喰うぞ!ネロ、つらい時にゃ吐いちゃいけねえコトバがあるんだ。」
ネロ「だって本当に苦しかったんだもん!つらかったんだもん。おじいさんも死んで家もなくなって絵のコンクールも落ちて…。なんにもなくなっちゃった気持ちが月光サンにわかるの!?なんにもなくなっちゃったら、絶望して『最低』の人生だって言ってもいいじゃない!?」
月光「それでもガマンだネロ!男は自分のモノサシを杖にして、泣きながら強くなってかなきゃなんねんだよ!!」
引用 藤田和日郎『月光条例』7巻
「もう何もない」ということ
オレも自分の人生を『最低』だと思い、「もう何もなくなった」と思っていた時期がありました。
それまでは自分にとって『大事なもの』のために生きていました。そして自分が死ぬその時まで、それが大事なものであり続けると思ってたし、なくなるなんて考えたこともありませんでした。
でもいざそれがなくなってみると、本当に、本当に何もなくなってしまったんです。最初は悲しみや怒りなんかの感情がありましたが、最終的にはそれもなくなります。
ただただ苦しい。
もう、ただ苦しいだけです。
心にポッカリ穴が開くなんてもんじゃない。
変な例えだけど、すごくがんばってクリアしようとしたゲームで残機もコンティニューも使い果たし、ゲームオーバーになった時の気分と似てるかもしれません。
ただ違うのは、二度と再挑戦できないこと。
そのゲームはもう二度とできないんです。
だからそのゲームは「終わった」となる。
自分の一生をかけようとしていたものが「終わった」時、最終的に残るのは「終わった」という事実だけです。
良い思い出も場合によっては「終わった今の自分」を苦しめる材料にしかならなかったりします。
あの頃にはもう戻れないんだ、と。
だから「何もない」と思ってしまう。
『大事なもの』はもうない。
もう取り戻せない。
もう最初からやり直すこともできない。
もう何もない。
『最低』な人生だ。
スポンサーリンク
生きるには目的が必要だ
一度「もう何もない」と思ってしまうとなかなか元には戻れません。この「もう何もない」が本当にクセものです。
「もう何もない」と思っていると、最後には「これから先、生きていても仕方ない」と考えるようになってしまいます。
『大事なもの』をなくす前は、意識はしてなかったけどいろんなことがその『大事なもの』のために目的をもって行動してたように思います。
仕事してお金を稼ぐのもそうだし、その仕事のために体調を整えるのもそう。大きいことから小さいことまで日常のすべてがたぶん、いろいろと目的を持って行動してました。
それ全部がたぶん、『生きる目的』でした。
その大元の『大事なもの』がなくなってしまうことで、日常のすべての目的が消えてしまったような気になったんだと思います。
「もう何もない」
それなのに、なんのために仕事するのか、なんのためにお金を稼ぐのか、なんのために朝早く起きるのか、目的がないのにやる意味が分からなくなる。
だから最後には「生きていても仕方ない」となって、生きる目的も分からなくなる。
普通に生活していたらまったく気にしてないけど、生きていくには大小に関係なく、目的が必要なんじゃないかなぁと思います。
「もう何もない」のは今だけ
月光が「コトバは心を喰う」って言ってましたが、あれは本当だと思います。
「もう何もない」
この言葉は本当にクセものです。一度そう思ってしまうと、この言葉に縛られてしまう気がします。
「生きていても仕方ない」と思ってしまったのも、「もう何もない」と思っていたから。
でも立ち直った今よく考えてみると、「生きていても仕方ない」と思っていたのは大きな間違いだったんです。
確かに『大事なもの』をなくしたのは事実。
いろんなものを通り越して、もうただただ苦しいだけの状態というのも事実。
でも、これからも未来永劫ずっと、「何もない」状態のままってことは絶対にないんです。
それに気付けていなかった。
「もう何もない」に心を喰われて、いつの間にか「もうこの先ずっと何もない」に変わってたんです。
本当に大事なものだったんだから、なくしたその後のことなんて考えられないのは当たり前です。
確かに今は何もないかもしれない。
でも、それは今だけなんですよ。
何もないのも、苦しいのも、なくしてさほど時間が経っていない今だからこそしんどいだけなんです。
一番何もなくて苦しい今の状態が、未来永劫続くものでは絶対にない。これは断言できます。
時間だったり、友達だったり、家族だったり、人によってそれぞれ違いはあると思うけど、いろんなものがまた「生きる目的」を与えてくれるようになります。
また絶対笑って暮らせるようになるんです。
もしかしたら、「なくしてよかったのかも」なんて笑って話す日だってくるかもしれません。
ちなみに今現在のオレは、「むしろなくしてよかったぜ」と思うようになってます。
だから「もう何もない」と思うのは仕方ないけど、それに心を喰われて「もうこの先ずっと何もない」にならないようにしなきゃいけないんだと思います。
自分のモノサシ
ネロは言ってました。
「何にもなくなって『最低』の人生」だと。
オレも『大事なもの』をなくした時にはそう思いましたが、月光の言葉を聞いてハッとしました。
『大事なもの』をなくす前は最低だったのか?
よく考えてみたら『大事なもの』のために生きていた時のことを考えると、幸せだったんですよね。本当に、幸せでした。
じゃあなぜ『最低』の人生とか思うんだろう。
考えてみたら『最低』だと思うのは『自分の人生』ではなくて、『なくしたこと』に対してなんじゃないかなと思ったんです。
確かにあんまりろくなことが起こらない人生ではあるけど、楽しい時もたくさんありました。
だから『最低』なのは『人生』じゃなくて、『その時起こった出来事』なんじゃないのかなと思いました。
だったら月光が言うように、その『最低』なことが起こった時に、心を喰われないように歯を食いしばってガマンしたら、また楽しいことも起こるんじゃないのかな、と今は思うんです。
だから今後はどんだけ最低だったとしても、言葉で「最低じゃねぇ!」って言いつづけて負けてやらねぇ。
なくしてしまった時のあの気持ちが今ではすごい悔しいから、「意地でも楽しい人生を送ってやるぜ」と思う今日この頃です。
それが今の自分のモノサシです。
もう絶対に折れてやらねぇし、泣いてもやらねぇ。